普通って難しい。。
- maoko.teshima

- 2020年8月10日
- 読了時間: 3分
何かに追われているような感覚がある。
さっき思いついたことが3秒後には思い出せない。
自分の頭がおかしくなったのではと不安が離れない。
ちょっとしたことの記憶がない。
かあさんです。
突然ですが、かあさんは「普通」という言葉が苦手です。
誰かと意見の食い違いがあった時とか、滅多にしないですが喧嘩をしたりすると、大抵「普通に考えたらそんなことしないだろ」とか「普通ならこうだろ」的なことを言われます。
「普通」の意味、知っていますか?
『普』は、「あまねく」「広くーう」を意味する字であるところから、普通(ふつう)とは、広く通用する状態のこと。を言うそうです。
広く通用するって…それ、ご自分の周りだけの話では?
何人の人にそれ、「あぁ、それは普通だと思うわ」って言われたの?
かあさんは、自分の考え方や想いを「普通」だとは言えません。だって確かめてないもの。他人それぞれに、自分なりの「普通」があることはわかります。ただ、それを誰かに押し付けたり、自分の普通と違うことを非難するのは、違うと思うのです。
はるか昔、とうさんと喧嘩をしたときに、やっぱり「普通は・・・」のようなことを言われて、「” 普通 ”、って言うな。お前の普通なんか知らん。” 自分は ”って言え」とブチ切れながら言った時から、とうさんは、かあさんに対して「普通は…」という言い回しを使いません。「あぁ、そうだね。僕の普通は、あなたの普通ではないかもしれないね。」と言って喧嘩の最中にもかかわらず言い直してくれました。本当に理解力もあって、柔軟性もあるすごい人だと思います。
ありがとう。<(_ _)>
さて、何故にそんな「普通」話をしているかというと、昨今「new normal」という言葉が聞こえてきて、いろんな場面で、今までそれぞれが思って使ってきた「普通」が「普通」でなくなってしまったり、自分の「普通」とあの人の「普通」が違っていたことに気づかされたりしているのではないかと思ったからです。
そして、そんなゴチャゴチャとした過渡期がやってきたことは、とても良いことだと個人的には思っています。普通は普遍ではないことにもっともっと気づいてほしい。
コロナウイルスという驚異の前に、たったひとつしかない命をどう守るのか、自分はどんな行動をとるのか。いつ感染するかもしれない恐怖と他人の命にどこまで「対策」という行動で責任が取れるのか…本当に沢山考えて気づかされた時期でした。
コロナがきっかけではありましたが、いつも人は小さな決断を重ねて前に進んでいることを改めて実感しています。
行動するという選択肢。
行動しないという選択肢。
どちらにも理由はあるのでしょう。
ただ、かあさんは、その選択をするときには、きちんと「自分は、~だから」と言えるようにしたいと思っています。



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